レバノン、地中海に面したこの国は、かつて「中東のパリ」と称されるほど、洗練された文化と自然美に恵まれた観光地でした。
しかし、2025年現在、レバノンはその表情を大きく変えています。経済崩壊、治安の不安定化、そしてたびたび発生する爆発事件。
観光客にとっても、「本当に今、行っても大丈夫なのか?」という不安が拭えない状況が続いています。
この記事では、日本の外務省が発表している最新の危険情報に基づいて、レバノン国内で現在「渡航すべきでない」とされるエリアとその理由を解説していきます。
【外務省発表】今レバノンで危険とされている地域一覧と理由

日本の外務省は2025年現在、レバノン全域に対して警戒レベルを設定しています。
その中でも特に、「命に関わる危険性が高い」とされる地域に関しては、渡航を控えるよう強い勧告が出されています。
【レベル4】渡航禁止・退避勧告エリア(南部・バールベック・アッカールなど)
まず最も危険とされるのが、レバノン南部(イスラエル国境沿い)と北東部のアッカール県、東部のバールベック=ヘルメル県です。これらの地域は現在、レベル4(退避勧告)に指定されており、日本人を含むすべての外国人に対して「命の危険があるため、すぐにでも退避すべき」という強い警告が出ています。
特に南部では、ヒズボラとイスラエル軍の軍事衝突が散発的に発生しており、一般市民を巻き込んだ砲撃や無差別な爆発が繰り返されています。また、バールベック地方は長年にわたり、武装勢力や密輸組織の活動拠点とされており、政府の統治がほとんど及んでいない無法地帯です。
これらの地域では、外国人が身代金目的で誘拐される事件も過去に複数報告されており、現地ガイドであっても完全に安全とは言い切れません。
【レベル3】渡航中止勧告エリア(ベイルート中心部を含む全域)
次に挙げられるのが、首都ベイルートを含む国内全域への「渡航中止勧告」です。
一見すると、ベイルートは華やかな都市としての印象を保っていますが、政治的緊張や暴動、治安部隊と民間人の衝突が頻発しているため、外務省は「不要不急の渡航は控えるべき」としています。
特にベイルート中心部では、2024年にも政府への抗議デモが暴動に発展し、警察と市民が衝突。その際にはガス弾が使用され、商業施設の一部が破壊されるなど、観光客が巻き込まれるリスクが現実のものとなっています。
また、電力・水道インフラの崩壊により、夜間の治安悪化や無法地帯化したスラム地域が広がっているのも懸念材料です。
レバノンという国は、都市ごとの雰囲気や安全度が極端に違うという特徴を持っています。
たとえば、同じベイルートでも、昼間のカフェ街では落ち着いた雰囲気が漂う一方で、少し裏通りに入ればスリや強盗が横行しているケースもあります。こうした情報を把握せずに「大丈夫そう」と感じてしまうことが、最大のリスクにつながるのです。

レバノンの治安はなぜ不安定なのか?現地事情を読み解く

レバノンの治安不安は、単に犯罪や紛争が多いという表面的な問題ではありません。
その背後には、複雑に絡み合った宗教対立、長引く経済危機、機能不全に陥った国家機構の崩壊といった、根深い構造的課題があります。ここではその3つの主な要因を見ていきましょう。
宗派分裂と無政府状態に近い地方の実情
レバノン社会は、マロン派キリスト教徒、シーア派イスラム教徒、スンニ派イスラム教徒をはじめとする多宗派国家です。
この宗派バランスは建国以来の根幹であり、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派といった形で、宗派ごとに政治権力が分配されてきました。
しかし、こうした仕組みは協調よりも対立を生みやすく、汚職や縁故主義を助長してきました。政権が何度も崩壊し、現在では国全体が「無政府状態」に近い政治空白を抱えています。特にバールベックや南部の農村地域では、国家の統治がほとんど機能しておらず、実質的には民兵組織や部族の支配下にあるのが現状です。
経済危機と通貨暴落が引き起こした市民の暴動と略奪

2020年以降、レバノン経済は急激に悪化し、自国通貨レバノンポンドの価値は90%以上暴落しました。
銀行の預金封鎖、外貨不足、失業率の急増により、市民の生活は極端に困窮。
この経済崩壊は、中産階級の没落を招き、市民による商店の略奪や街頭での抗議デモが頻繁に発生するようになりました。
特に治安維持のコストが高い都市部では、警察や兵士が略奪行為を黙認、あるいは自ら参加するケースも報告されています。
その結果、観光客や外国人が財布や荷物を狙われる事件も多発しており、「目立つ存在」ほど狙われやすい状況となっています。
警察・軍の給料未払いと汚職による治安維持不能化
国家財政の破綻は、治安機関そのものの崩壊にも直結しています。
警察官や兵士への給料は数か月遅れが当たり前となり、その間に副業として民間の「用心棒業」や「違法チェックポイント」での賄賂集めに従事する者も増えました。
本来であれば市民を守るはずの警察が、外国人旅行者に職務質問を装って金銭を要求する例もあり、信頼関係は完全に崩れています。そのため、「警察がいるから安心」とは言い切れない国であることを理解しておく必要があります。
このように、レバノンの治安悪化は単なる「事件の多さ」ではなく、国家そのものが崩壊しかけているという深刻な背景に起因しています。
旅行者にとっては、「地元の人が優しい=安全」ではなく、制度や機関が信頼できない=自己防衛が不可欠という現実を意識することが重要です。
【レバノン現在の爆発事情】近年の主な爆発事件とその背景
レバノンは近年、複数の大規模な爆発事件に見舞われ、国民生活や政治、社会に深刻な影響を及ぼしています
ここでは、特に注目すべき2つの爆発事件を取り上げ、それぞれの背景と現在の状況について詳しく解説します。
2020年 ベイルート港大爆発:国家機能の崩壊を象徴する惨事
2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートの港湾地区で、2,750トンの硝酸アンモニウムが爆発し、少なくとも218人が死亡、7,000人以上が負傷、約30万人が家を失いました。この爆発は、非核兵器による爆発としては史上最大級のものであり、爆発の衝撃波は地震計でマグニチュード3.3を記録し、キプロス島でも感じられました 。
爆発の原因は、2013年にモルドバ船籍の貨物船MVロスス号が運んでいた硝酸アンモニウムが、ベイルート港で押収され、適切な安全対策が講じられないまま6年間倉庫に保管されていたことにあります。この間、税関当局は危険性を警告し、再輸出や軍への引き渡しを求める書簡を複数回送付しましたが、いずれも無視されました 。
この爆発は、レバノン政府の腐敗と無能さを象徴する事件として国民の怒りを買い、大規模な抗議運動が発生しました。その結果、当時のハッサン・ディアブ首相と内閣は辞任に追い込まれました。しかし、爆発の責任を問う司法調査は政治的圧力や妨害により停滞し、2025年1月にようやく再開されました 。
2024年 電子機器爆発事件:新たな戦争の兆候か
2024年9月、レバノンとシリアで、ヒズボラが使用していたとされる数千の携帯型通信機器が同時に爆発し、少なくとも37人が死亡、約3,000人が負傷しました。この事件は、イスラエルによるサイバー攻撃の可能性が指摘されており、レバノン国内外で大きな波紋を呼びました。
この爆発は、イスラエルとヒズボラの間で続く緊張の中で発生しました。イスラエルは、ヒズボラが通信機器を通じて攻撃を計画していると主張し、これを阻止するための先制的な措置として爆発を引き起こした可能性があります。一方、ヒズボラはこの攻撃を「宣戦布告」と見なし、報復を宣言しました。
この事件は、レバノン国内の不安定さをさらに悪化させる要因となり、国際社会からも懸念の声が上がっています。アムネスティ・インターナショナルは、事件の真相解明と責任追及のため、国際的な独立調査の必要性を訴えています。
レバノンってどんな国?旅行者が知るべき前提知識

レバノンという国を正しく理解するには、まず「中東の中でも特異な存在」であることを知ることが大切です。
美しい地中海沿岸の街並みや、多様な文化が融合した食文化、洗練された都市空間が魅力的な一方で、内部には非常に繊細で危ういバランスが存在しています。
観光客にとっても、それを知らずに足を踏み入れると、意図せず政治・宗教・社会的な地雷を踏むことになることがあるのです。

マロン派・シーア派・スンニ派の宗派バランスが治安に直結
レバノンの最大の特徴のひとつは、宗教の多様性が国家制度に組み込まれていることです。
キリスト教マロン派、イスラム教シーア派、同じくスンニ派の三大宗派が政治を分担しており、それぞれの宗派が強い地域的・社会的影響力を持っています。例えば、
- マロン派:中部山岳地帯やキリスト教系都市に強い影響力
- シーア派:南部やバールベック周辺に拠点を持つ(ヒズボラ支持層)
- スンニ派:ベイルート西部や北部沿岸地域を中心に分布
この宗派構造は国家のアイデンティティである一方で、対立の火種にもなっており、宗派間の衝突や選挙不正・汚職の温床にもなっています。
旅行者が注意すべきは、「何気なく話した相手の宗派や立場によって、発言が政治的意味合いを帯びてしまうことがある」という点です。宗教や政党、軍事勢力に関する話題には深入りしないのが鉄則です。
「ヒズボラの影響力」が観光安全に及ぼす影響とは
レバノン南部を中心に強い勢力を持つシーア派武装組織ヒズボラ(Hezbollah)は、国内政治にも大きく関与しており、事実上の国家内国家とも言える存在です。
一部地域ではヒズボラが道路、学校、病院などのインフラを整備している一方で、イスラエルとの武力衝突や、対外工作に関与していることから“テロ組織”と指定している国もあります。
旅行者にとってのリスクは、こうした地域に誤って足を踏み入れた場合に、軍事施設や警戒区域の写真を撮影したことで拘束される、あるいはスパイ容疑をかけられる可能性があることです。特にドローンや高性能カメラを持ち込む旅行者は、軍・ヒズボラの双方から監視対象にされやすいため要注意です。
また、ヒズボラの旗やポスター、支援団体の拠点をカメラに収めることも厳禁です。たとえ観光目的であっても、「撮った理由」をその場で証明できなければ拘束されるケースも過去にありました。
国民の7割以上が経済困窮…観光客が狙われやすい背景

レバノンでは、2025年現在もインフレが続いており、国民の約7割が「貧困ライン以下の生活を強いられている」と言われています。
電気が1日数時間しか供給されない地域も珍しくなく、水や医療へのアクセスにも限界があります。
このような状況下では、外国人観光客は“富裕層”として見なされやすく、スリ・詐欺・金銭目当ての誘いが集中しがちです。特に女性旅行者に対しては、“恋愛感情”を装った接触や、親切を装った詐欺行為も散見されます。
現地の人々は本来非常に親切ですが、経済的な動機によるトラブルを未然に防ぐためには、慎重な距離感を持つことが大切です。
レバノンという国は、文化的・歴史的に非常に豊かで魅力的な一方で、その構造を正しく理解していないと「地雷原を歩く」ような旅になる危険性をはらんでいます。事前の情報収集、行動の慎重さ、政治・宗教への配慮が、安全な旅行を左右します。
【まとめ】レバノン旅行は行くべき?最新の判断基準
2025年のレバノンは、観光旅行には不向きです。
外務省は全土に渡航中止・退避勧告を出しており、治安・経済・政治すべてが不安定。
爆発事件や暴動、インフラ崩壊によるトラブルのリスクも高く、安全な旅行は非常に困難です。
どうしても行く必要がある場合は、十分な情報収集と現地サポートの確保が必須です。しかし観光目的であれば、今は避けるのが賢明な判断と言えるでしょう。